「主は生きておられる」  04.07.11  藤井圭子先生
                   使徒言行録 16:25〜34
 聖書は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も
救われます」と語る。これは、人間の約束ではなく、神の言葉で
ある。力、真実、現実がある。

 父は、仏教を大切にし、心柔らかな優しい人であったが、病に
かかり自分の死を目前にした時「寂しい」と言うことしかできなかった。
 すでにキリスト者であった母の祈りと愛に包まれ、救いの証しを
聞く父を、神は信仰に導いてくださった。永遠の救いは、主イエスの
十字架と復活によって成就しており、その復活の主は、今も生きて
私たちを救ってくださる。
 主イエスが共にいると約束し続けてくださる。父は、主イエスが
おられるゆえに独りではない事を知り、主イエスに抱きかかえられ
ながら、平安の内に召された。

 夫が病により無気力になった時、「人の目にはどうであっても、
神さまのなさることに無駄はない」との信仰によって進むことができた。
試練の中で、神の愛をより深く知ることがある。それゆえ、決して失望
するだけで終わることはない。
 ある朝与えられた御言葉は、預言者エリヤが異教の預言者と戦い
勝利し、多くの人が神への信仰を告白する場面だった。
 その日、この御言葉が心から離れなかった。その夜、夫と聖書
(ヨハネ14:1〜9やローマ7:15〜8:6)を読んでいた時、慰めと平安が
与えられた夫が信仰を告白した。朝の御言葉のごとくに、無気力に
なっていた夫を、神は信仰の告白へ進ませてくださった。
神さまの御業を見、讃美し、感謝をした。「恐れは祈りとなり、…嘆きは
歌となりぬ」(聖歌498)

 5年前に息子を失った。辛く悲しい日々の祈りの中で、ある時、
「もう泣かなくともよい」との主の言葉が響き、神は感謝の祈りへと
導いてくださった。

 人には、神の美しいご計画のすべてを知ることなどありえないが、
主イエスのもとでの再会の確かな希望がある。

 また、悲しみ苦しみを和らげてくれる人々を、神は与えて下さる。
 悲しみの中でも喜ぶことができる。
 神は不思議な平安、慰めを与え続けてくださる。
(浅見覚)